しどり
倭文のいろいろな説を取り上げました。
風土記には静織についてこんな風に書いています。
風土記編纂の頃の織物 長幡部についての記述は詳しいです。
古代織・・・きっかけは風土記から
常陸国風土記・・・・・
奈良時代713年の詔に応じて提出された地方の報告書で、現存するのは他に播磨、肥前、豊後、出雲の五カ国のみ
郡内で産する鉱物、動植物、土地のようす、土地の名の由来、古老の伝える話等を記載しています。
主な参考本、常陸の国風土記の探求(河野辰男著) 常陸国風土記 (常陽芸文センター)
この記述を読んだ後、静神社と長幡部神社を訪ねました。たった一行の記載にしか過ぎない
静織の神社は見上げるほどの立派な鳥居。かたや、風土記の時代に盛んに織られていたような
長幡部の神社は素朴な社。一体これはどうして? そんな疑問から静織への興味が生まれました。
ここではそんなきっかけとなった常陸国風土記の久慈郡のご紹介、静織の諸説等を取り上げます。