静・倭文ってどんな布?

新編常陸国誌     しつりという義は・・・・今世にいう島織のことなり。
大日本国語辞典    梶、麻等にて縞を織り出せるもの。
 槻文彦説       楮、麻、苧等の横糸を青、赤等に染めて乱れたるように文に織りなすもの
佐々木信綱説      楮、麻、苧等の緯を青、赤等に染めて交織せるもの
日本古典文学大系   シヅ・・・・模様入りの織物の一種
日本歴史大辞典    一種の古い織物の名称。しどりが一種の文のある布。だが縞織物か綾織か その点は                  確かには分かっていない。(上村六郎)
万葉集体成        倭文布は苧麻、たく等の繊維を集めて絣を織り出したるもの
               縞織の説は受け取りがたい。
               しづはたに乱れて思う悲しさを 経緯にして織れる吾が恋 (貫之集)                賎機に思い乱れて秋の夜の明くるも知らず嘆きつるかな (後撰集)
日本古俗誌        シドリは後世「しどろにみだれる」のしどろと同義語。シズ族の彩色の布を
                          大和民族が採用 
次、憩いの家での活動・・仲間と共に
古代織の部屋ゆう

注・静と倭文(しどり・しずり)は同意語

 こんな風に様々の倭文説があるのですが倭とか文という文字の解釈・・・・倭を現在の日本と捉えるか、
もっと広範囲の海洋民族とするか、文(あや)も古代の班布、倭錦、異文雑錦のどれに照準を合わすのかで
違ってくるのだろうと思います。

 真田織(かっぺた織)もこのような候補の一つとなった織物です。(あまり有力ではありませんが・・・・) 
貴人が着ていたから豪華な織物と推察する考えもあれば、もっと織の原型とみる人もいるでしょう。 

でもどちらにしろ、古代、というよりむしろ太古の織で、神事に大きな力を持っていた布。
それだけははっきりしているのではないでしょうか。

おおむね、一致しているのは、静織・倭文は麻、からむし、楮等の繊維を原料とした織物
また、
織機も時代からいって、原始機。いろいろ論議されるのは文様でしょうか。

.........日本の織物の自体の発展を、技術的変遷の内面から眺めると、
倭文の文字が用いられた頃すなわち6~7世紀にはわすれさられつつあった言葉、
死語に近くなっていたと考えてもよさそうである。

・・・・・(略)・・・古墳時代から弥生時代という単純な技術を持ち、
さらに遡って染色技術もなかった頃を想定するなら、倭文布の発生はどうしても染色しない、組織も伴なわない縞ものと解釈せざるをえないのである。

 この倭文布は多色の織物を意味する古代の錦(丹白黄)へと変わったのであろう。
カッペタ織りの多そうこうの二重織り・・・・
カッペタ織りを倭文布と重ねあわせるには無理が生じる。

倭文布はきわめて原始的で素朴な織物であり、後に幾つかの」発展をする色彩による図面構成の縞柄や、糸の太さを違えたり経糸の込み方を変え、さらに組織変化を部分的に加え、効果の強調をする技術の母体となるものであるとした方が、織物の発達史からみて自然であり、かつ、当然そうなるべき性質を内包している祖型であった。..........

 私が古代の織を学ぶのに読んだ本の中で、一番感動したのは
 
岡村吉右衛門氏の日本原始織物の研究です。

様々な本を読み、その本の後ろにある参考文献でこれぞと思う本を
読むように心がけていましたが、私の読んだ本の多くに参考書として挙げられていたのが 
この日本原始織物の研究でした。もう絶版であり近くの図書館にもないので、何度か国会図書館に足を運び、コピーして読みました。

机上の研究でなく、実際に歩き回り、見てまわり、土地と人から学んで研究されたこの本は、織にも古代史にもたいした知識もない私にでも その視点の的確さ、人間らしさにある感動を与えてくれたように思います。また静・倭文(しどり)について章をもうけ、ご自分の考えを多方面から考察して述べているのはこの本だけでした。一部分、抜書きしてみます。

その文様について常陸万葉風土記(宇野 悦郎著)の中に
いろいろの書物からピックアップされた倭文説が載っていたのでそれをご紹介します。

このように 日本原始織物の研究では、静織・倭文を植物の繊維そのものの色合いを
生かした縞織りという説を取っています。

 現在、静織・倭文は縦じまという説が有力のようです。
でも今までいろいろな説があり、これぞという決め手がないというのが実情でしょう。
 いろいろな説を読みながらその説の根拠を知り、本当はどうだったのかと想像するのもけっこう楽しい時間です。

岡村吉右衛門氏の日本原始織物の研究より