古代織の部屋ゆう
下井水神宮

11

10
源氏川に懸かる木の橋

17時  薄暗くなった静の里の山

13時50分 太田駅到着

 太田駅にたどり着くと今日の行程はおしまい。
駅からバスで上菅谷へ行き、電車で静まで行って車でさーと帰宅のはずでした。
ところが上菅谷で一時間も電車を待たなくてはならない。待つのが嫌で「え〜い!歩いてしまえ!」と勇んで歩きだしたものの、そのうち空には黒雲がかかり、夕方の冷たい風が吹き始める。
いつまでたっても瓜連にたどり着かず、少々歩きだしたことを後悔したりもした。
でも犬も歩けば棒にあたるで、鴻巣では31号線の道で杉玉を飾った歴史をかんじさせる木内酒造や
楮に関係ある鷲神社があることも分かった。
後日またゆっくり見に来ることにして静神社を目指す。夕方5時 静神社駐車場到着。この予想外の歩きは二時間あまり。

 いろいろ寄り道をしているので正確ではないが、日立市の倭文神社あたりから長幡部まで3時間。
そこから常陸太田を経て瓜連の静神社まで3時間半ほどであろうか。
この歩きを通して織の里から織の里まで歩いても行ける距離で、古代でもおおいに交流があっただろうということが実感できた。

点と点を歩くことで線とし、自然も歴史的遺構も広い観点で見てあるくのはなかなか楽しい。
今度はどこへ行こうかと夫と二人 地図をみてたのしんでいる。

横の説明文では古来、鯨丘には
(太田の町の丘陵)七つの井があったが
今のこっているのはこの下井水神宮だけだという。
有志の方々の尽力だそうだ。
きれいな水と歴史がまもられているのは嬉しい。
源氏橋を渡るとすぐに可愛い石の橋が
かかっている。
でも以前は清らかな水が流れていたと思われるその川には、しっかりコンクリートのふたがあり、せせらぎが見られないのは残念だ。これより先は太田の町だ。

織の里から里へ歩いてみよう

前回は水木、大甕から長幡部神社をえて常陸太田まで歩きました。
今度は常陸太田から瓜連の静神社までです。車の駐車場所を考え、
逆の静神社から常陸太田のコースにしました。
行きはひたすら61号線を歩いていきます。
これで、海近くの大甕倭文神社から静織の里まで続くことになります。

静織の里から常陸太田へ

間坂は馬坂から変化したそうです。
いかにも古代からの交通の要所、
多くの人馬が行き来したことでしょう。

6

間坂

山田川

静神社から常陸太田までは久慈川、淺川、山田川が、さらに長幡部までには源氏川や里川が加わり、川と肥沃な田と中世の
山城跡を持つ台地との繰り返しとなっている。

1

静神社

至大甕

源氏川

常福寺

至 上菅谷

天志良波神社

幡町(現在)

静織の里

山田の里

里川

浅川

静神社

長幡部神社

    二日目の行程
静神社から常陸太田駅へ
太田駅からバスで上菅谷駅前
上菅谷から鷲神社を経て静神社

61号線

久慈川

稲村神社

佐竹寺

白馬寺

静から常陸太田への地図

山田川

常陸太田駅

10時静神社出発

とうとうと水をたたえて緩やかに流れる様は
本当に美しいです
。(栄橋)

国道3

天之志良波神社

白羽町(現在)

太田

間坂


7

3

 久慈川栄橋

源氏橋

10

稲村神社

間坂

栄橋

3

佐竹寺

2

9

白馬寺下の溜池

稲村神社


佐竹寺

7

淺川

ただ今山門修理中.
この寺の後方には瓜連城址があります

道に沿って佐竹寺が、また後方には稲村神社や馬坂城跡があり、古代、中世と佐竹氏の拠点となった地域ということが分かります。天神林町一帯にいくつもの寺院仏閣があり、ここから郡家跡といわれる久米も歩いてもさほどかからないと思います。風土記・久慈郡にある谷会山は水府村・棚谷説と白馬寺下の谷津田説があるそうです。
このコースの途中にある白馬寺の下を歩いてみると、南北にながい田が広がっています。
ここは古代中心地の久米にも近く、なるほどその説もありうると思いながら散策を楽しみました。
後日、棚谷に行って見たが一体、どこがその遺蹟地か分からず、棚谷神社に登ってあきらめて帰ってきましたが、
もう一度出かけて棚谷説の場所をみたいと思います。

常福寺