しらは(白羽、志良波)神社は長白羽命を祀っている神社です。
白羽町一帯は麻を植え、その麻を織り、衣服を作った技術集団が住んでいたとされています。(河野 辰男著・常陸風土記の探求より)
風土記には記載されていませんが、天志良波神社、鷲神社もそれぞれ古代の技術を持った人々の祭神となっています。
織の里から里へ歩いてみよう続き
現在のお社は いつ建てられたのか分からないがとても風格のある建物です。
前回、静織の里から常陸太田へ行き、交通の便がうまくいかず、上菅谷から瓜連の静神社まで歩きました。予定外のコースを薄暗い中を歩いていると
木内酒造さんの素敵な店を見つけました。帰宅後、地図で確認すると、楮で白和幣(しらにぎて)を作った神を祭る鷲神社もすぐ側にあることが分かりました。後日その二つを訪ねてきました。
那珂町鴻巣の鷲神社へ
長幡部小学校前の道は里川に沿って北上
薩神社
道は少し川から離れて山の端に入るが、
小一時間も歩くと上のような神社入り口の看板に着く。(左の里川への道を進んで行くと橋があり、それを渡ると薩都神社はすぐだ。)
神社の左横を5〜6分歩くと小さな建物があった。清水寺と書いてある随分奥まった所ではあるが、境内はよく手入れされている。
ひっそりとした静かなお社
静織の里、長幡部の里、白羽神社一帯へと実際に歩いてみると どの里から里へも一日あれば歩いて行ける距離でした。地図上ではそう認識していましたが やはり自分の足で歩いてみると里と里の交流が頻繁に可能と身をもって理解できました。大甕倭文神社周辺から長幡部、白羽までは昔の山道を想定しても一日で行けるでしょう。
長幡部の里から静の里へも古代の道や繁栄を感じさせる地域が多く、ここも一日の行程で大丈夫でした。
(もっとも大甕から静へは古代 水運を利用したのかもしてませんが・・・)
各里の繁栄は1〜数世紀のずれはあるようですが、このように狭い範囲で織物産業の地域があるなら、
互いに影響しあったのだろうと想像するのも楽しいことです。
里川
長幡部神社から天志良波神社まで2時間足らず。隣の村に行ってきたという感じ。古代もそうした交流があったのでしょうか。
織の里から里へ歩いてみて・・・・・・
清水神社