古代織の部屋ゆう

10

常陸太田 板谷坂
次は織の里から里へ歩いてみよう!  静から太田へ
15時 太田駅到着
太田の町に入ります。

大甕倭文神社から長幡部神社を経て太田へ

織の里から織の里へ歩いてみよう! 

里川

61号線

4 常陸太田

高市

2 泉神社

1・大甕倭文神社

常陸太田

高市

密筑の里

水木の浜

泉神社



静織の里

久慈川

6号国道
大甕から長幡部の里への地図

 織に関する里は風土記に記載されている静織の里、長幡部の里、それ以外にも大甕倭文神社周辺や天志良波神社とありますが、どれも地図上では近い距離にあります。昔、互いに交流があったり、統合されることがあったりしたかもしれません。と、なると里から里までどの程度の時間を要したのか知りたくなりました。
 そこで、日立市石名坂にある大甕倭文神社から那珂町の静の里まで歩く計画をたてました。
まず、一日目は距離の半分程度の大甕倭文神社から常陸太田駅としました。

長幡の山

高市(たけち)と呼ばれた奈良時代からの市は現在の石名坂町や南高野町とされています。海の幸、山の幸、織物等風土記に出てくる産物が
ここに集まってきたのかと 今の静けさからは想像できない気持ちで石名坂宿を通り、長幡部へ向かう道に入る。
この道は途中から61号線(はじめは156号)となり、静へとひたすら続いている二日前、車で下調べで通った道なのに、一歩一歩歩いているとまるで見慣れない景色ばかりが現れるようで、この道でいいのかと不安になった(道は一本しかないのに・・・)見覚えのある真弓神社入り口の大きな石碑にたどり着いてほっとした。

密筑の里
水木の浜

長幡神社
13時10分 長幡部神社到着
大甕倭文神社

高貫坂下から右が長幡部への道
61号線との分離地点に石仏が何体も
集められている。道路工事でここに集められたものでしょうか。本来はどの地点に
安置されていたか気になります。

大甕倭文神社のかかせお
一日目の行程
泉神社

随分急な坂道の上に太田の町が開けています。

2

3 長幡部神社

水木の浜や泉ヶ森(泉神社)を歩く

海岸線をしばらく歩き、泉神社へ。

真弓山神社入り口後方、
白い山肌が真弓山

朝9時過ぎ、「カカセオ」を滅ぼしたという伝説を持つ大甕倭文神社を出発。
大甕山の東端釜坂の海岸に倭文部(しどりべ)が住んでいたそうで、防人「可良麻呂」の歌が残されている。その住まいはどの辺だろうとか、当時の海岸線はどの辺だろうなどと考えながら緩やかな坂を下っていく。

廃線となった日立電鉄
泉神社の泉
水木の浜
里川の橋から長幡部を見る。
これからまっすぐ太田の町に入る。

幡横穴古墳

長幡部神社

清らかな水が湧き出て川となり、人々の集い来る大井が今の泉神社の泉とされている。
左は現在もこんこんと水の湧き出ている神社の泉です。
神社の前は親水公園となって、きれいな水にすむ魚、「いとい」が育てられています。

長幡部神社到着。小学校は機初(はたそめ)小学校この一帯は幡町。里川に懸かる橋は機初橋。
はたに関する名前がいっぱいです。到着時間13時半大甕倭文神社からまっすぐ来れば3時間程の行程ですこの後常陸太田駅まで歩き、バスで石名坂へ戻る

泉が森

大甕倭文神社