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大甕倭文神社から長幡部神社を経て太田へ
織の里から織の里へ歩いてみよう!
里川
61号線
4 常陸太田
高市
2 泉神社
1・大甕倭文神社
常陸太田
高市
密筑の里
水木の浜
泉神社
至
静織の里
久慈川
織に関する里は風土記に記載されている静織の里、長幡部の里、それ以外にも大甕倭文神社周辺や天志良波神社とありますが、どれも地図上では近い距離にあります。昔、互いに交流があったり、統合されることがあったりしたかもしれません。と、なると里から里までどの程度の時間を要したのか知りたくなりました。
そこで、日立市石名坂にある大甕倭文神社から那珂町の静の里まで歩く計画をたてました。
まず、一日目は距離の半分程度の大甕倭文神社から常陸太田駅としました。
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高市(たけち)と呼ばれた奈良時代からの市は現在の石名坂町や南高野町とされています。海の幸、山の幸、織物等風土記に出てくる産物が
ここに集まってきたのかと 今の静けさからは想像できない気持ちで石名坂宿を通り、長幡部へ向かう道に入る。
この道は途中から61号線(はじめは156号)となり、静へとひたすら続いている二日前、車で下調べで通った道なのに、一歩一歩歩いているとまるで見慣れない景色ばかりが現れるようで、この道でいいのかと不安になった(道は一本しかないのに・・・)見覚えのある真弓神社入り口の大きな石碑にたどり着いてほっとした。
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高貫坂下から右が長幡部への道
61号線との分離地点に石仏が何体も
集められている。道路工事でここに集められたものでしょうか。本来はどの地点に
安置されていたか気になります。
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3 長幡部神社
水木の浜や泉ヶ森(泉神社)を歩く
海岸線をしばらく歩き、泉神社へ。
朝9時過ぎ、「カカセオ」を滅ぼしたという伝説を持つ大甕倭文神社を出発。
大甕山の東端釜坂の海岸に倭文部(しどりべ)が住んでいたそうで、防人「可良麻呂」の歌が残されている。その住まいはどの辺だろうとか、当時の海岸線はどの辺だろうなどと考えながら緩やかな坂を下っていく。
幡横穴古墳
長幡部神社
清らかな水が湧き出て川となり、人々の集い来る大井が今の泉神社の泉とされている。
左は現在もこんこんと水の湧き出ている神社の泉です。
神社の前は親水公園となって、きれいな水にすむ魚、「いとい」が育てられています。
長幡部神社到着。小学校は機初(はたそめ)小学校この一帯は幡町。里川に懸かる橋は機初橋。
はたに関する名前がいっぱいです。到着時間13時半大甕倭文神社からまっすぐ来れば3時間程の行程ですこの後常陸太田駅まで歩き、バスで石名坂へ戻る
大甕倭文神社
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