正倉院展の布
大仏

東大寺へ

この正倉院の御物を国立博物館で展示しているのが、正倉院展で今回59回目です。
東大寺大仏殿
東大寺 鹿
45・木綿(ゆう)
42・早袖(肩当て)
肩宛て
41・赤い布の下着
麻の下着
40・麻の上着
麻の上着
44・布の前裳
(布の前掛け)
ゆう(繊維・繊維の束)
布・衣類

税として収められた麻布で作られた衣類で、作業着として用いられた。東大寺で働いていた人のものということです。布だけの出品、39・白布には常陸国筑波郡・・・・と墨書きされています。
長幡部のあし絹も常陸の織物として朝廷に納められていましたが
麻布は常陸のポピュラーな調(税の一種)として多く収められたようです。
万葉集にも筑波娘と布の句があります


筑波嶺(つくばね)に  雪かも降らる 否をかも 愛しき児ろが 布乾さるかも
訳    筑波山に雪がふったのかな、いやいや、かわいいあの娘が布を干しているのかな 
            (犬養孝、万葉の旅より
)

 正倉院展ではきらびやかで手のこんだ工芸品の数々が多く見られ、
私たち見学者を魅了したが、それらとはまったく違った素朴な展示も見られた。
麻布や楮等の繊維・ゆう(木綿)の数々である。
会場で分かったことだが、今回の展示の特長の一つは地方から税として納められた
布を用いた衣類がまとまって展示されることだという。調として常陸の麻布が朝廷に納められていたことは今まで、いろいろな本で読んで知っていた。正倉院展でそのような布が一つでも見れたら・・・と内心思っていたが、
まさかこれほどいろいろな布や繊維をみることができるとは思ってもみなかった。
 本当にluckyな一日でした。

正倉院展冊子

 正倉院は東大寺が所蔵する財宝を保管した倉庫。
正倉は奈良時代から平安時代にかけて、諸国・郡・郷・大寺等に置かれた倉で
東大寺正倉院は現存する唯一のものだそうです。上の写真の屋根の部分は切れて残念ですが
正面33メートルもの大きな木造建築です。かっては、この中に聖武天皇・光明皇后ゆかりの品
および、東大寺関連の品々が納められていたのですね。
高床式なんて暗記したものですが、床下は2.7メートルもあるそうです。

正倉院
古代織の部屋ゆう
43・布の袴
現在も前掛け。料理や配膳の係りその他の下働きを行うものが着用

東大寺、大仏殿

紅葉の始まった東大寺。
暖かい日ざしの中、鹿ものんびり

大仏様・745年聖武天皇により
造立着工

ゆう
作業の汚れを防ぐため、
頭から被った物
麻布の単の袴。佐渡の調布という墨書きがある。
布の前掛け

正倉院

単仕立ての肌着。上着としても使用。
説明によると袖やおくみもついていた
可能性があるという。たしかに
このままでは打ち合わせがないし
見た目にも小さすぎるようだった。
騎馬民族系の衣服の系形式
この木綿の束を見た時、どうしてこんなに薄く幅広くなるのだろうと驚いた
ゆうは楮、梶等の繊維とされる。以前、楮を蒸して繊維を作り、糸にしたが
なかなか薄くならず苦労した。試しに木頭村の布を取り寄せたがやはり硬かった。テーブルセンターとようなものなので太めの糸だったせいなのか 
どうかは分からない。 しかし、この正倉院のゆうは 楮は幾重のも薄くなると何かの本に書いてあったのを思い起こさせた。
その繊維の状態は、手元にある科の繊維に似ている。
カンナで削ったように薄く、均一なのである。どうすれば楮がこのような状態になるのか、またまた疑問だらけになってきた