朝は何時からでもいいよと言うハルさんの言葉に甘えて8時半にお宅に伺う。
木綿の10番双糸3色を30グラムずつに(玉ねぎで染めたもの)1cm6羽の荒い筬、刀じょ等の原始機で使用している道具類を持って行った。
でもその粗雑な糸はハルさんのお気に召さぬようであった。
(レース糸が良かったかな)
作業をしているうちに分かったのだが、大変細かい仕事であることや、真田織の織物がおしゃれや粋を大事にしていることを考えると、やはり木綿の糸では粗末で
絹糸を使うべきであった。
リバーシブルの柄を生かすためには配色も大切、縦糸の丈夫さも大切(全ては やっているうちにわかってきたのだが)。ハルさんは普通の畝織りと二重織りのどちらをしたいかと尋ねた。私のやりたいのはもちろん二重織りの真田織である。
そう答えると市松を変形した柄を教えてくれることとなった。

(1) まず整経。
外に出て家の壁に整経台を出して行う。柄を考えて表になる部分の整経、
裏になる部分の整経をし綾の部分に篠竹を入れて綾を確保する。
 
(2) それから筬通し。筬の一目に表の綾棒から2本、裏の綾棒から2本の計4本をいれる。筬通しが終わった経糸は筬から遠い経糸は上下束ねて柱にくくりつけ、筬側の経糸には上下別々に布巻棒をつけ腰機とする。
それからいよいよ柄を出すためのそうこうをかける。
先ほどの篠竹の綾棒にかかっている上下4本の糸を繰りながら表(上)の経糸に3本、腰につけた経糸をひっくり返して裏(下)の経糸に3本 計6本の糸そうこうをつける。(綾棒の柱側の棒は普通の原始機の中筒の役目を持つ。)
真田織で一番大変な作業がこのそうこうを取ることである。一つ間違えると直すのはとても手間がかかる。やれやれそうこうが終わったとほっとす

る間もなく点検。やはり何本かの掛け間違いが見つかった。

真田織の先生と私
 2日目 織りの作業に入る
式根島から帰ると、続けざまに4枚の真田を織った。幅も5センチ程度から20センチぐらいまで広げてみた。平成7月真田織を教えていただいてから1年経った。
出来上がった作品を見ていただくためにまた式根島に行った。
 ハルさんも私に刺激され又織り始めたと言って、鮮やかな細帯を見せてくれた。
ハルさんの暖かさに触れ、このようないい経験ができたことを、私は本当にありがたいと思っている。
宿の朝食を済ませてすぐにハルさんのお宅へ伺うと、丁度乳母車に花をのせたハルさんがお墓参りに出かけようとしているところだった。
すぐ近くの墓地へお参りするのが毎朝のお勤めで、昨日は私のために休んたと言う乳母車を押し、腰に蚊取り線香をぶら下げたハルさんについて墓地へ行くと 
どのお墓にも色鮮やかな花がいっぱい飾られて、南国の明るさに満ちていた。
あちこちに人の輪ができていて、朝の井戸端会議の真っ最中のようだ。
 こうした一日の始まりの輪の中にいると、なにか忘れ去った懐かしい感覚が
呼び起こされるような心地良さを感じた。
真田(かっぺた織り)とは・・・・・
真田とは八丈島、新島(式根島)に伝わっている幅の狭い織物で、片方の糸(オマキ側)は束ねて柱にくくりつけ 織り前に筬をいれた原始機を使用している。
 普通の平織りも真田といっているが,ここでの真田の特長は二重織になったリバーシブルのものでないだろうか。経糸には上下に糸そうこうがつけられるが、そのかけかたによって 山道 算盤球 角つなぎ 市松等の文様がでる。おもな用途は帯留め、伊達巻 たすきなどで、2センチから十数センチの幅の狭い紐、帯である。さおり(狭織)の紐、帯と言えば 倭文(しず)もやはりこの様な幅の狭いものといわれている。ただ 真田が絹糸を使用するのに対し 倭文は麻やからむし、楮等の植物繊維を使った織物の可能性が強いとされる。 原始機を使用し、紐や細帯を織る点から真田を倭文の候補とする説もあったので関心を持ちました。(倭文は縞柄の説が有力)
 昼になっても織間違いの修正が終了せず、一旦民宿へ帰る。約束の3時までは昼寝。
3時頃、どうしてこんなに暑いのかと、日傘で体をすっぽり隠すようにしながらハルさんのお宅へ行ってみると、ハルさんはもう私の間違ったそうこうを直してくれている最中だった。
経糸が密なので1本ずつ糸をさばきながらの確認、修正はそうこう掛けよりはるかに大変。
ひたすら気長に、気長に・とは思うけれども2泊3日の旅、何とか予定通りに進めたいと、気はあせるし暑さは厳しく、夕方5時に作業完了した時は、1日の疲れがどっと出たようでした。

   織り道具

古代織の部屋ゆう
ハルさんの作品

1日目 機ごしらえ (市松模様に挑戦)

真田紐や真田帯を習いに

 伊豆七島の一つ、式根島は周囲20キロメートルあまり、
人口600人ほどの小さい島である。この島を初めて訪れたのは平成七年七月末、
梅雨もあけた夏休み初めての土曜日の朝でした。
サーフィンを楽しむ大勢の若者達と一緒に船から吐き出されるように港に降り立ってみると、まるで盆栽のような雰囲気の岩や松が青い空と海の中に
くっきりとした線を描きながら広がっていた。この小さな美しい島、式根島、ここには憧れていた真田織がひっそりと息づいており 私は87歳のハルさんにその織り方を習うため夫と二人で訪れました。。

式根島紀行
朝のお墓参りからもどると、柱に経糸をくくりつけ、いよいよ織りにかかる。
6本のそうこう棒と2本の中筒を繰りつつ織り進めていく。
そうこう棒は上に3本、下に3本掛かっておりそれが織り手前から遠ざかるにつれ開口が狭くなるので、へらでそうこうのすぐ上を叩いたり、途中にへらを立てたりしながら横糸をいれなければならない。特に下に掛かっている
そうこう棒をさらに下に押しやり、横糸を入れる時は下の経糸をすくってしまいがちで、飛び目ができたりして難儀した。幅が広いほど、そうしたミスを起こしやすい。真田織りが狭い幅の帯や紐に織られるというのは、なるほどやってみるとよく理解できた。2日目も夕方の5時まで織りをする。ようやく少しずつ要領が分かりだした。これで明日は予定通り帰りの船に乗れそうだ。
真田織を習いに式根島へ。海から島を見る
真田織の道具
ハルさんの真田織の細帯
真田織の整経

外で整経。まず表になる経糸、次に裏になる経糸を整経